1.35ポンド
2ポンドと18ペンスが僕のあこがれだった。
ロンドンにいる間、ぼくは学校にブラックヒースという駅から行っていた。
その駅前に、ジュースとかお菓子とかお酒とか調味料を売っているコンビニとスーパーの中間のようなお店があった。
そこにいつも通って、50ペンスのクロワッサンを一つと85ペンスのチョコチップデニッシュを一つ買って朝ごはんにしていた。
このふたつがパンの中で一番安かった。
たったそれだけの理由で最初は選んだのだが、食べてみると、日本で買うパンよりバターの香りが豊潤で、口当たりもよく甘さと塩気のバランスが絶妙で、こう言ってしまえば元も子もないが、美味しかった。
僕は、一口で気に入ってしまった。
そのお店のパンのラインナップの中で、高いもの二つがシナモンロールとチョコレートツイストロール―それぞれ99ペンスと1ポンド19ペンス―で合わせて2ポンドと18ペンスになるのだ。
一番安い二つでこれだけおいしいのだから、高い二つはもっとおいしいに違いないという根拠のない自信は、日が経つにつれて、クロワッサンとチョコチップデニッシュを食べるにつれて深まっていった。
そして、ロンドンの最終日がやってきて、その店に行くのも最後の機会になった。
お土産を買いすぎてお金はほとんど余っていなかったが、昼食を抜きにしてもいいと思って、その二つを2ポンドと18ペンスで買った。
いつも決まって1ポンドと35ペンスをレジに渡していたから、この日はちゃんとコインが足りているか不安だった。
その時の僕は、恥ずかしさと誇らしさが入り混じったような顔をしていたと思う。
お釣りを受け取ることもせず受け取ったパンの小袋からは、シナモンのいい香りがした。
駅のホームに行くまでに待ちきれず、信号待ちをしている間に、シナモンロールを一口ほおばる。
美味しい。
シナモンの香りが口の中に広がる。
しかし、何か違う。
美味しいんだけど、拍子抜けだった。
チョコレートツイストロールも豪快に口に入れる。
やはり何か違う。
期待値が高すぎたのか。
いつもの安い二つのほうがおいしく感じられた。
食べ終わり空になった小袋を駅のごみ箱に捨て、釈然としない気持ちを抱えながら、ちょうど来た電車に乗り込んだ。
もう二度とあの店に行かないのかと思うと、悔しくなってきた。
僕にとってイギリスの味は、間違いなく50ペンスのクロワッサンと85ペンスのチョコチップデニッシュだった。
きっと、2ポンドと18ペンスはずっと憧れのままのほうが良かったのだ。
憧れているからこそ、いつものクロワッサンとデニッシュも美味しく感じられたのかもしれない。
もう日本に着く。
時差の関係で、まだ体内時計は真夜中だが、日本はもう朝になっていた。
不思議なもので、朝だと思うと、無性にあの二つ―1ポンドと35ペンスのほう―が食べたくなる。
今度は、この二つを憧れにして、日本でおいしいパンを食べよう。
いつか、ロンドンにまた行った時に、この二つを買おう。
その時の僕は、たぶん、恥ずかしさと誇らしさが入り混じった顔をしているだろう。