壁に耳あり障子にメアリー

瑞々しさを失わないための備忘録。ブログ名が既に親父ギャグ。

大きなかき氷を上手に食べるのはむずかしい  

 

ある女性と話していて、そういえば今年はまだかき氷を食べていなかったということに気がついた。べつに毎年欠かさず食べているわけでもないのだが、もう夏も去るのにかき氷を食べていないのでは、秋を迎えられないという気分になり、早速、美味しいかき氷屋さんを検索した。スマートフォン用に作られたサイトに載っているお店のうちいくつかのお店に目星をつけておいて、翌日月曜に行こうと決めた。その女性は、次の日は仕事であったので、僕が一人で行き、その写真を送るということになった。

 

 

翌朝、早速、かき氷を目当てに散策をする。目星をつけておいたところのいくつかは定休日であったり、かき氷の提供をもうやめてしまっていたりしていて、少し歩き回ることになった。最近めっきり冷えてきたと思っていたのに、この日は見事な秋晴れだった。正味30分ほどしか歩かなかったが、リュックを背負った背中は少し汗ばんでいた。結局僕は、当初のリストには入っていなかったお店に入った。

 

 

 

そのお店は、かき氷屋さんではないが、おしゃれな和風カフェレストランという感じで、清潔で、月曜日の午前中だったからか客はまばらで、照明も暖かく、心地よい雰囲気だった。すぐに店員さんがメニューを持ってきてくれたが、メニューを見るまでもなく、表紙に書いてあった木苺練乳かき氷を注文する。

 

 

5分と待たずに出てくる。大きい。大きくて赤い。大体iPhone2つ分くらいの高さの、上から氷をそのまま自由落下させたときにできる円錐という感じの形だった。その頂上にメレンゲらしきふわふわした白いものが乗っている。赤いソースは木苺で、甘酸っぱくて、美味しい。来た甲斐があったと思った。実に夏らしい、優雅なひと時だった。

 

 

ただ、そのかき氷は、非常に大きく、そのくせに乗っているお皿が小さく底も浅めで、上から崩しながら食べていくと、何%かはお皿から零れ落ちてしまった。零れ落ちた、氷のクラッシュは、ジワリと融けていき、あまりきれいではない。どうして、こんなに大きいかき氷の、そのお皿がこんなに可愛らしいのだろう。

 

 

そして、そのかき氷は、非常に大きいから、全部食べ切るまでにお皿の上で融けきってしまう。最後の方は、木苺シロップの混じった冷たい水を飲んでいるにすぎない。早く食べてしまおうにも、人体の限界というものがあるし、そもそも、かき氷を早食いするというのは、風流ではない。せっかく食べるのだからちゃんと雰囲気に浸りたい。

 

 

食べていくうちにこぼれてしまうし、最後は融けてしまう。そんな失敗の連続を、僕は、話す相手がいない。そのことが何よりも、切なかった。いや、敢えて良く言えば、「夏の終わり」を感じた。インスタジェニックなかき氷を、悪戦苦闘しながら食べるとき、何よりも必要なのは、「美味しいけど難しいね」って言い合う相手なのであった。失敗談を笑い合える相手だった。それは、ことによると、将来、僕がこのことをすっかり忘れてしまったときに、思い出話として笑いながら語りかけてくれる相手なのかもしれない。

 

 

 

 

 

そういう人がいないまま、大きなかき氷を上手に食べるのはむずかしい。