海外に行きたかったけど、行けなかった僕が考えたこと
巷では就活が始まったらしい。
ぼくも一年前はリクルートスーツを身にまとい、よく知りもしない企業の説明会を聞いてはふむふむうなずいてみたりして、
エントリーシートとやらもたくさん書き、でも、ほんとにこんなんで何が分かるっていうんだとか考えてた。
なんとなく「アンチ就活」みたいなスタンスでやってきてたけど、一応、第一志望の企業は見つかったし、そこに落ちたときはかなりショックだった。
就活が始まる前、3回生の10月ごろ、僕は海外に行こうと考えてた。
旅行じゃない、留学でもない。
青年海外協力隊だ。
神戸まで行って説明会を受けて、アドバイザーのおっちゃんに相談した。
そしたら、「君は阪大なんだから、青年海外協力隊に行くより、JICAに就職した方がいい」と言われた。
「貴重な三年間を青年海外協力隊に費やしても、そのことをきちんと評価してくれるところはほとんどない」とも。
その瞬間、僕は後悔した。
もっと早く海外への道を考えていれば、2回生のときに留学しておけば就活とも被らないしベストだったのかとやっと気づいた。
本気で考えるのが遅すぎた。3回になってからじゃ厳しかった。
今、海外に行こうか迷ってる人が何人かはいると思う。
僕の周りは結構真面目な人が多い。
早くしないと手遅れになることに気づいている人も多いと思う。
でも、ぼくは、あえて海外に行くことをお勧めしない。
いや、正確に言うと、日本にいても大丈夫だということを伝えたい。
だから、久しぶりにブログを書いた。
僕は当時、海外に行かないとダメな気がしていた。周囲の「できる」奴らに置いていかれるような気がしていた。
海外に行かないと自分が磨かれないような気がしていた。
就活の役に立つような気がしていた。
たしかに、海外に行くことはいい武者修行になると思う。
英語ペラペラはかっこいいし、海外で試行錯誤しながら過ごす期間は大きな財産になるだろう。
それはきっと間違いない。
でも、じゃあ、「海外に行かなかった一年間」は成長していなかったのかと言われればそんなことはないと思う。
ぼくは、むしろ、日本にいたからこそできたことがたくさんあるように思う。
障害者支援のボランティアを濃く続けることができたし、その経験は今執筆中の卒論にしっかり反映されている。
日本にいたから出会えた人々の導きによってぼくは来年以降の進路を決定した。
海外になんか行かなくてもちゃんとなんとかなる。
ちゃんと将来の種は埋まっている。
それを見過ごしたり、見過ごしたふりをしていたらもったいないと思う。
海外に行っちゃったほうがもったいないということだってあるはずだ。
それでもやっぱり僕は海外に行ってみたいと思う。
海外に行かないとわからないこともいっぱいあると思う。
だけど、海外に行くのは今すぐじゃなくてもいいし、とりあえず、いまは、目の前のことにしっかりと目を向けていたい。
いまいる場所を大事にしたい。
武者修行できるのは何も、遠いところだけではない。
遠くにある場所だけがユートピアじゃない。
だから、ぼくは置かれたところで咲けばいいと思う。
今いる場所を正解に変えていけばいいと思う。
海外に行かないという選択肢だってちゃんとある。
周りの大人たちだって、一度も海外になんか行かずにかっこいい人たくさんいる。
海外に行けなかったことは悔しいけど、たしかに悔しかったけど、負けじゃない。
だから、僕は、とりあえず、もうちょっと「ここ」で頑張ってみようと思えている。