壁に耳あり障子にメアリー

瑞々しさを失わないための備忘録。ブログ名が既に親父ギャグ。

英語の名前

将来、自分に子どもができたときのことを想像することがある。その勢いで、娘の結婚式でいかに泣くかということを目標に、いろいろ考えたりもする。娘からの手紙のときにはじめて娘の前で涙を見せたいから、厳格な父親でいこうとか、娘の婚約相手があいさつに来た時も無口でやりすごそうとか(相手からしてみればいやな父親だ)、そういう演技のイメージが固まってくると、今度は、そうやって演技をしていることを見守ってくれる人と結婚したいなとか、結婚相手のイメージまで浮かんでくる。すべては、娘の結婚式の感謝の手紙のところで泣くための人生。産まれたのが息子の場合は、全く考えたことない。

 

では、子どもの名前をどうしようかと考えたりもする。自然にあやかった名前がいいなと思う。草花が入った名前とか。あとは、これからの時代、グローバル化だから、英語圏の人でも読みやすい名前がいいなとか思ったりもする。

 

僕の名前は、英語圏の人からしたら、ひどく発音しにくいようで、一発で正確に発音できた人はいない。会うたびに、「君の名前はどうやって発音するんだっけ?」と聞いてくる人さえいる。

 

困るのは、カフェに行ったときだ。カフェでコーヒーを注文すると、コーヒーができたときに呼ぶための名前を聞かれる。馬鹿正直に僕の下の名前を言うと、全く聞き取ってもらえない。仕方なく、スペルを伝えるのだが、そのスペルも彼らにとっては書きなじみのないものだから、よく間違えられる。

 

だから、いっそ、次からは、英語圏の人の名前を名乗ろうかと思っている。こう思い始めたのは、実は、もう一つ理由がある。

 

ジンバブエ出身で、こちらの大学の僕の同僚が先日、突然亡くなった。40歳前後で、いつも元気な彼だったから、訃報を知らせるメール読んだとき、ひどく驚いた。彼は故国ジンバブエで会議に出ているときに昏倒し、病院に運ばれたものの処置が間に合わず帰らぬ人となってしまった。イギリス人だらけの大学で、アジア人の僕をいつも気にかけて優しくしてくれた彼だったから、突然の別れに僕は、それを現実だと受け止めることができなかった。

 

時の流れは残酷だから、いつか彼のことも忘れてしまうのだろうか。それは嫌だ。だから、僕は、彼を忘れないために、自分のコーヒーショップ限定での英語名を決めた。Bernard。彼の名前だ。イギリスでコーヒーを注文するたびに、彼を思い出そうと思う。そうやって、自分の中で、時間をかけて追悼しようとおもっている。