壁に耳あり障子にメアリー

瑞々しさを失わないための備忘録。ブログ名が既に親父ギャグ。

人違い

 僕はよく夢を見る。夢の中は現実世界の続きで、知っている人が登場する。知人や家族や先輩や後輩。それは僕がイギリスにいても変わらない。たまに英語をしゃべることもあるけど、「この英語で文法的に合ってるかな」とちゃんと不安も感じている。

 

 この前、実家のおばあちゃんが出てきた。おばあちゃんは80代後半で、数年前にくも膜下出血で倒れてからは車いす生活を余儀なくされている。夢の中のおばあちゃんも車いすに座っていて、口数は少なかった。どういう流れかは忘れてしまったのだが、突然おばあちゃんに抱き寄せられた。おばあちゃんは、少し泣いていた。その場所がどこかはわからないけど、車いすに乗るようになってからおばあちゃんはデイケアにしか行かなくなったから、きっと実家のおばあちゃんの部屋だっただろう。僕も、よく分からないままに、少し泣いていた。

 

 目が覚めた。さっき見た夢を反芻する。おばあちゃんに抱き寄せられたことなど一度もなかったから、不思議な感じがした。そしておばあちゃんが泣いているところさえ一度も見たことがなかったことに気付いた。あのきついリハビリをしているときでさえ、リハビリ中に転んで、また骨折してしまったときでさえ、おばあちゃんは孫の僕の前では涙を見せなかった。

 

 そう考えると、あの夢がやけに意味深に思えてくるのだった。「虫の知らせ」。縁起でもない言葉が脳裏をよぎった。いてもたってもいられず、親にラインした。「おばあちゃんに変わりはない?」って。うちの親は、スマホを携帯しないから、中々返事が来ない。やきもきして電話しようかと思ったときに返信が来た。「おばあちゃんは今日も元気です」。僕は、ほっと胸をなでおろした。

 

 でも、そうなると、今度は、あの夢のやけに鮮明なリアリティが却って気になってくるのだった。あそこで涙を浮かべていたおばあちゃんは、一体何だったのだろう。泣いていたことだけ、確かな手触りがあって、そのくせ、どんな顔をしていたのかが思い出せなくなっていた。

 

 ああ、これはもしかしたら、「虫の知らせ」の知らせる相手を間違えたのだなと思った。きっと、どこかのおばあちゃんが自分の孫に最期を知らせるために夢に出てきたのだけれど、間違えて僕の夢に出てきてしまったのだろう。そう考えて、僕は、そのおっちょこちょいの、見ず知らずのおばあちゃんにそっと手を合わせたのだった。