壁に耳あり障子にメアリー

瑞々しさを失わないための備忘録。ブログ名が既に親父ギャグ。

2017年と言われて何年後でも思い出すだろう3曲

 

世は歌につれ歌は世につれ。その時の流行歌を時を経て聴くと、あのころを思い出す。例えば、東京事変の閃光少女の歌いだしのベース音を聞いただけで、高校へ登校するために自転車に乗っていた僕が舞い戻ってくる。

 

大学に入り、大学院に進むにつれ、そういう音楽を聞く機会が無くなってきたが、それでもその年を思い出させるような曲はいくつかある。それをちょっと書いてみようと思ったわけだ。

 

と言っても、僕は音楽をよく聞く方じゃない。流行った曲を流行りに任せて聞いているだけなので、この記事を読んでいる人に新たな発見を与えることはできない。むしろ、僕みたいな、音楽に疎い人間でさえ、何度も聞いた曲がセレクトされていると思ってほしい。例えば、2016年で言えば「サイレントマジョリティ」(欅坂46)、「花束を君に」(宇多田ヒカル)、「なんでもないや」(RADWIMPS)、「恋」(星野源)あたりのガチガチの選曲となる。たぶん誰も文句は言えまい。

 

 

 

ちなみに、Youtubeに上げられている動画は全部引用してもいいだろうというゆるゆるの著作権解釈でお送りします。削除されていたらすいません。

 

 

 

さて、2017年を代表する曲、1曲目は、こちら。

 


みゆはん「ぼくのフレンド」-TVサイズ-(TVアニメ『けものフレンズ』EDテーマ) MV

 

 

いきなり個人的な選曲になってしまった。でも、これだけは外せないと思った。今年のアニメ方面の話題をかっさらったアニメ『けものフレンズ』のED曲である「ぼくのフレンド」である。『けものフレンズ』は、終了間際になって、慌てて全部一気見した。ここ数年、僕の心はささくれ立っているので、沁みた。パワハラ上等、ブラック労働上等のクソみたいな社会で生きるわれわれに、大事なことを思い起こさせてくれるアニメだった。もちろん最終回は泣いたし、その後のゴタゴタでカドカワのことが嫌いになり、ニコ動のプレミアム会員を退会した。

 

そのED曲が「ぼくのフレンズ」である。OP曲である「ようこそジャパリパークへ」のほうが露出が多いので、有名かもしれないが、僕は「ぼくのフレンズ」のほうが好きだ。出だしの歌詞の「合縁奇縁一期一会 袖すり合うも他生の縁」っていうのが、国語の勉強をしたてのまじめな高校生が書いたっぽくてすごくいいし、サビの歌詞も優しくていい。何より、メロディの展開と歌詞が合ってる。じめじめとせず、それでいてちゃんと切なく、卒業の感じを歌えていると思った。今年のベストを選べと言われたら「ぼくのフレンズ」にするかもしれない。

 

 

 

2曲目、

 


サイハテアイニ RADWIMPS MV

 

RADWIMPSの「サイハテアイニ」。これはたしか、アクエリアスのCM曲だったかな。RADWIMPSは「君の名は。」ブームで一気に40代以上の知名度を上げた。そんな中で、かなり王道の曲を作ったなという感じ。個人的には2番サビが中途半端に終わってCメロに移行するところが好き。RADWIMPSは結構、1番と2番のメロディを変えてきたりする傾向が強いと思うけど、そういう試みがいつもうまくいっているからすごい。5年以上前から思ってたけど、この人たちは何をどう作曲しても売れ線の曲になるんだろうなと。そういうコツを持っているバンドだと思う。

歌詞もまさにRADWIMPSという感じ。

「世界で一番の調味料

何か ご存じなの?

ズバリつまりそれは空腹です

要は愛に一番の調味料は

もう分かるでしょう?

その渇き切った心」

とか。ここ数年の若手ロックバンドも無駄に(いい意味で!)冗長な歌詞を書くところが増えたけど、RADWIMPSの謎の説得力には叶わないなと思う。

 

 

さて、3曲目

 


DAOKO × 米津玄師『打上花火』MUSIC VIDEO

 

これ。もう天才。米津玄師が売れなかったら、日本は終わり。はっきり言ってもっと売れてもいい。アルバムに捨て曲がない。そして、タイアップ曲を外さない。これだけで商業歌手としては無敵。この曲もえげつないほどいい。もしも、あなたが「夏をテーマにした曲で、打ち上げ花火を登場させて、でも夏の終わりの切なさを曲にしてください」「映画はタイムリープ系のストーリーで、小学生の甘酸っぱい恋愛ものです」ってプロデューサーに言われて、米津玄師以上の答えを出せるだろうか。僕なら無理だ。即引退しているだろう。ちょっと歌詞を深く見ていきたい。

 

 
「あの日見渡した渚を 今も思い出すんだ
砂の上に刻んだ言葉 君の後ろ姿」
 
あの日っていつ?って思った時点で作詞者の思う壺である。君が後ろ姿なのもポイント高い。体言止め二連続によって、余韻が残る。明らかに追憶のシーンである。


「寄り返す波が 足元をよぎり何かを攫う
夕凪の中 日暮れだけが通り過ぎて行く」

 
ここでは何も起きない。ひたすらに静かである。サビへ向かう前にこういう静かな歌詞を置けるのは、なかなかできない。サビへの期待感が高まる。

「パッと光って咲いた 花火を見ていた
きっとまだ 終わらない夏が
曖昧な心を 解かして繋いだ
この夜が 続いて欲しかった」
 
サビの出だしで「パッ」という擬音語を入れるのがすごい。まさに花火の破裂の瞬間である。そして「まだ終わらない夏」を願う主人公は「この夜が続いて欲しかった」と言う。しかし、それが過去形で書かれていることから分かるように、現実には「この夜」は終わってしまった。

「「あと何度君と同じ花火を見られるかな」って
笑う顔に何ができるだろうか
傷つくこと 喜ぶこと 繰り返す波と情動
焦燥 最終列車の音」
 
 唐突に彼女のセリフ。「あと何度君と同じ花火を見られるかな」。こういうセリフを言うときは、花火を見れるのは、良くてあと数回、ことによるともう二度とみられない場合である。そんな切ないセリフを前にして主人公は何もできずに焦燥感を抱く。最終列車の音が響く夜更けである。

「何度でも 言葉にして君を呼ぶよ
波間を選び もう一度
もう二度と悲しまずに済むように」
 
一番とは違って感情的なサビ前のメロディに、歌詞がよくあっている。「もう二度と悲しまずに済むように」「君を呼ぶ」主人公は、一体何度悲しみを味わってきたのだろうか。この短い三行で、タイムリープ系の物語の構造が見える。

「はっと息を飲めば 消えちゃいそうな光が
きっとまだ 胸に住んでいた
手を伸ばせば触れた あったかい未来は
ひそかに二人を見ていた」
 
 「あったかい未来はひそかに二人を見ていた」。見てい「た」のである。未来が出てくるこの情況はすでに過去のものなのである。その未来が「手を伸ばせば触れ」られるくらい近くにあったにもかかわらず、きっとその未来には触れることはできなかったのだろうということまで読み取れる。
 
 ああ、なかなかに深い歌詞だと、今年の夏、僕は思って、映画も相当いいのではと思い、ネットで調べたら酷評の嵐だった。観に行くのをやめた。でも、曲だけずっと聞いていたし、あの映画は、たぶん、予告編を見て、この曲をひたすら聞くのが一番充実する鑑賞方法なのかもしれないなと思った。
 
 
まとめ
ぼくのフレンド(みゆはん)

サイハテアイニRADWIMPS

打上花火(DAOKO × 米津玄師)

 

今年はどんな曲が聞けるのでしょうか。