親父その2
親父とは、強がりである。
僕にとって、「親父」と呼べる人は、二人いる。
一人は、実家の親父。
もちろん、血はつながっているし、僕が生まれたときから同じ家で暮らしている。
僕が大学進学のために、大阪に出てきてからは、年に数回も会っていないが、それでもやはり親父は親父だ。
もう一人の親父は、寮の先輩だ。
僕が大学の寮に入ったときに、同じユニットの2学年上の先輩。
学年は2つ上だけど、年齢は30歳くらい上。
年が離れすぎていて、最初見たときは、学生だとは思わなかった。
寮の管理人さんかと思った。
その「親父」は、45で大学に入るまで、世界を放浪していた。
生活費は、FXとかで稼いでいた。
冬になると、カナダでスノーボードして、夏になるとオーストラリアでスノーボードしていた。
現地の日本人と何股もしていた。
で、海外も飽きて日本に帰ってきて、工業高校卒業が最終学歴だったのに、ポンと大学に入っちゃって、ストレートで4年で卒業した。
そして、実家のある名取に帰った。
「親父」が卒業するとき、会いたくなんてないって本気で思ってたけど、まあどうせいつか会えるんだろうなって心の片隅で感じていた。
卒業してから一年後の四月、僕は大学4年生で例に漏れず就活をしていた。
第一志望の会社の面接を翌日に控えたときに、一通のメールが届いた。
「親父」からだった。
めずらしいなあと思いメールを見ると、「親父」じゃない人が、「親父」の突然の死を報せるメールだった。
その年の8月、寮の先輩たちと、「親父」の墓参りをした。
どうせ会えるんだろうなっていう漠然とした予感は、裏切られた。
そこにあるのは、墓石だけで、墓地から見えるのは、めちゃくちゃでかいイオンモールだった。
そして、今日、一年半ぶりに墓参りをした。
そのイオンモールで、線香とかマッチとかを買った。
線香もマッチも 一人用なんて売っていないんだということを初めて知った。
お供え用の花は、腐ると嫌だから買わないでおいた。
「親父」の墓につくころには、あたりは真っ暗になっていた。
雨脚も強くなっていた。
さっき買ったばかりの線香とかマッチが湿気ちゃわないか不安だったけど、あっけなく火がついた。
「親父」の墓には、綺麗な生花が供えられていた。
「親父」に会いに来てくれる人がいることが何よりもうれしかったし、どうせ誰も来ないだろうから、花なんて供えても腐るだけだよねなんて考えていた自分が嫌になった。
とりあえず、花の水だけは変えておいた。
富士山麓の天然水にしておいたから、「親父」も文句あるまい。
なんだか、ふいに二度と来てやるもんかと思った。
墓前に手を合わせていた時は、「また来ます」なんて思ったけど、帰り際になると、「もう来ないぞ」と思いなおしていた。
そんなん、ただの強がりだ。
自分でもわかっている。
「親父」が卒業していったときに、考えていたことと同じだ。
ただ、一つだけ違うのは、もう会えないということだ。
もう会えないということが圧倒的な事実としてある以上は、僕はもう会わないってずっと強がり続けてやる。
たぶん、「親父」も、「もう来なくてもいいからよお~」とか言っちゃってると思う。
だから、もう会ってやらない。
そうやって強がることが、逆説的に「親父」と会える唯一の方法だと思うから。