壁に耳あり障子にメアリー

瑞々しさを失わないための備忘録。ブログ名が既に親父ギャグ。

シークヮーサーサワー

昨日、久しぶりに「甘いお酒」を飲んだ。

 

お酒を飲み始めたころは甘いお酒の方が好きで、でも少しかっこつけたくて強がってビールとかウイスキーとか焼酎とか日本酒とかを飲んでいた。

 

3杯目ぐらいで「そろそろサワーを飲んでもいいだろう」ってなってからのお酒が好きだった。

 

だから、ビールとかの甘くないお酒は甘いお酒を飲むための通過儀礼のようなものだった。

 

それがいつしか甘いお酒は飲まないようになっていった。

 

ビールを美味しいと思うようになっていった。

 

お酒を飲み始めたころは大人になったなとは全く思わなかったが、ビールを美味しく感じたときに初めて大人になった感じがした。

 

そうなると、もう甘いお酒には戻れなくなっていった。

 

「あまいお酒は飲まないという大人っぽさ」の仮面を外すことができなくなっていった。

 

大学4年生になり、先輩がどんどん卒業し、いつのまにか後輩だらけになった今は、ビールを美味しいと言い続けることが、そういう頼れる自分を演出するための方法となっていた。

 

 

 

昨日、高校のときの担任の先生と二人きりで飲んだ。

 

久しぶりの再会だった。

 

先生は別の高校に赴任されて、僕は教育実習生として母校に帰ってきていた。

 

卒業して以来4年振りだろうか。先生は4年という月日を、4年分だけしっかりと年をとっていた。

 

僕が成人してから初めての再会だった。つまり、僕は初めて「恩師」とお酒を飲んだ。

 

最初はなんとなく緊張もしていたのだけれど、一杯目のビールで二人で乾杯をし、近況報告をするにつれて緊張はほぐれていった。

 

高校のときの面談とはまた違うけれど高校のときと同じような距離感で話すことができた。

 

僕は大人になるために大学で4年間いろんなことにチャレンジしてきたつもりだったのだけれど、先生との距離は縮まっていなかった。

 

だから、あの頃と同じように、高校生だった自分と担任だった先生との距離感のまま話せたのだろう。

 

ちょうど同じタイミングでビールが空いた。

 

次もとりあえずビールにしようかなって思った。それが大学で身につけた背伸びの仕方だ。

 

でも、先生は「シークヮーサーサワー」を頼んだ。「俺、これ好きなんだよね」という照れ隠しと一緒に。

 

それを聞いて僕は無性に先生と同じシークヮーサーサワーが飲みたくなった。

 

その後慌てて頼んだシークヮーサーサワーは美味しかった。

 

大学生活や就職活動で身につけたちっぽけで役に立たないプライドとともに飲み干した。

 

シークヮーサーのほろ苦さに笑われているような気がした。「美味いもんは美味いだろ?お前は何のために飲んでいるんだ?」

 

 

 

その後も、世間話や少し先の将来の話をして、また別れた。

 

先生に相談しようかなと思っていたことは結局言わないままだった。

 

でも、それで良かったような気がする。

 

思い返せば、高校のときも先生に相談したことは無かった。

 

何も相談せずに大阪大学受験を勝手に決めて、勝手に受験しますと宣言した。

 

今思えば、困った生徒だ。

 

でもそんな僕に先生は、一言「分かった」としか言わなかった。

 

合格の報告のときも、一言「信じてたよ」と言ってくれた。

 

あのときから、僕は誰かに相談するということができなかった。

 

でも、先生との距離感はそれでよかったのだ。

 

そしてこの距離感は今も変わらない。

 

そしてこの変わらなさに救われ続けるのだろうと思う。

 

 

背伸びしながらビールを飲み続けるであろう僕も、先生の前ではきっといつまでも「シークヮーサーサワー」のままなのだ。