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壁に耳あり障子にメアリー

瑞々しさを失わないための備忘録。ブログ名が既に親父ギャグ。

断定的比喩/比喩的断定

べての言葉は比喩でしかない。

 

 

エントリで僕は、否定形を重ねることでしか表現できないことがあると書いた。それは、たとえば、映画を見たときの自分の心にうずまく感情を正確に表すことができないというような話をした。ここで言う「正確」というのは、非常に強い意味である。それは「まったくひとつの誤解もなく」という意味である。でも、僕たちは、普段の生活で、「まったくひとつの誤解もなく」誰かに何かを伝えることなんて不可能だって知っている。自分の思いを自分自身ですら正確に把握することはできない。だから、僕たちは、何らかの言葉を、それが正確ではないと知りながら、使う。つまり、言葉というのは、何かを表す際の近似値でしかない。君が僕に伝えようとしてくれている「楽しい」や「悲しい」も、評論家が無邪気に言い放つ「このままでは日本が危うい」も、僕の家のテーブルの上にある「りんご」も、理解可能ではあるけれども、聞き手の受け止め方に多少なりとも依存してしまう時点で「正確」ではない。だから、言葉は、いつまでたっても「正確」ではなく、言わば近似値でしかなく、もう少しそれっぽく言えば、比喩でしかない。

 

 

 

べての言葉は比喩であるとここで言うとき、それは、非常に強い意味である。ふつう、比喩というのは「○○は××のようだ」という使い方で、何らかのイメージを膨らませて、読み手や聞き手の受け取り方の自由度を高める効果がある。でも、僕の比喩という言葉の使い方は、もっと一般的である。なにせ、言葉はすべて比喩なのだから。たとえば、「○○は××である」という断定的な表現も、○○=××であると「正確」に「ひとつの誤差もなく」断定しきれなければ、それは比喩である。いささか強引に言い切ってしまえば、この世に、比喩以外の言葉なんてない。僕とあなたが全くの同一人物で、全く同じ経験をしていなければ。

 

 

 

 

て、こういう種類の、「断定的表現をしているのに、その実、それは比喩である」という主張を、ここでは、断定的比喩と呼ぼう。何を言っても、言葉を用いる以上は、この断定的比喩からは逃れられない。だから、正確に何かを伝えようと思うとき、僕たちは、否定形を重ねることしかできないのである。

 

 

 

 

 

定的比喩について、具体例を示そう。いや、この世のすべての表現は断定的比喩なのだから、具体例と言われても面食らってしまうかもしれない。具体例と言っても、断定的比喩そのものの具体例ではなく、「断定的に言ってしまっているけど、この言葉は何らかの比喩でしかないんだと自覚している」ことの比喩である。そして、よりによって、Mr.Childrenの歌詞から引用する。なぜなら僕はミスチルが好きで、ほとんどすべての歌詞を暗記してしまっているから、テーマに見合った歌詞を探し出すのが楽なのだ。

 

 

 

 

 

Mr.Childrenは、というか、作詞者の桜井和寿は、しかしながら、何かを断定することの少ないライターである。それでも、ほとんど例外的に断定表現として使っている表現がある。それは「君が好き」というフレーズである。

君が好き
この響きに 潜んでる温い惰性の匂いがしても
繰り返し 繰り返し
煮え切らないメロディに添って 思いを焦がして

 

「君が好き」。そうひそやかに宣言しておきながら、その言葉には「温い惰性の匂い」がするという。「温い惰性の匂い」とは何だろうか。それは、いろんな複雑な感情が胸の内にあるんだけれど、それらを強引に「君が好き」という短いフレーズにまとめてしまうという怠惰のことである。翻って考えてみれば、「君が好き」という力強い断定口調は、しかしながら、やはり何か(たとえば、胸にうずまくもやもや)の比喩的表現にしかなりえず、むしろその力強さゆえに温い惰性の匂いがしてしまうのである。

 

 

 

 

 

葉は、内化する。言い換えれば、言葉によって人間は形成される。それは、子どもだけでない。大人もだ。「予言の自己成就」的な例を出してもいいし、もっと単純に、自分の好きな名言を暗記して、それが自分の性格の柱のようになっていることを想像してみてもよい。もっともっと単純に、「だるい」が口癖になっていれば、だるくなくてもだるさを感じてしまうというようなことを想像してもよい。いずれにせよ、僕たち人間は、言葉を使うことで、僕たちのアイデンティティを、その言葉の方に寄せていってしまう生き物である。

 

 

 

 

 

ういった例を、「Forever」の歌詞から見ていこう。

Forever
そんな甘いフレーズに少し酔ってたんだよ
もういいや もういいや
付け足しても 取り消すと言っても
もう受付けないんなら

 

なんだか僕ら似通ってんだ
ちょっぴりそんな気がした
本当はお互い頑張ってた
近づきたくて真似た

きっと嘘なんてない だけど正直でもないんだろう

 

「きっと噓なんてない」。当時付き合っていたであろう恋人を真似ることは、嘘ではない。ずっと一緒にいたいと思うことは、事実であったに違いない。「forever」なんて甘いフレーズを言ってしまうことも、嘘ではない。しかし、「正直でもない」のは、それが、真似た成果手に入れた本来の自分ではないものだったからで、そんな甘いフレーズもなんらかの比喩にすぎなかったからである。

 

 

 

 

 

こまで断定的比喩の話をした。これは、いささか希望のない話になってしまった。まとめれば、僕たちが使う言葉は、原理的に比喩表現にしかすぎないということだった。このことに自覚的であればあるほど、断定的な表現は、使うことができなくなってしまう。だから、僕は、前のエントリで「否定形を重ねる」ことの良さを書いたのだった。でも、今回はそうではなく、逆に比喩的な表現を用いることの力強さを試しに提示してみたい。

 

 

 

 

 

 

日本大震災が起きたとき、Mr.Childrenは、ライブツアーの真っ最中であった。震災とその後の自粛ブームによって、彼らもいくつかの公演を中止した。その後、ツアーを再開させたとき、ライブの一曲目が以前までのセットリストと変わっていた。以前までは「NOT FOUND」という曲だったのが、震災後数公演は「蘇生」になっていた。この曲は、いくぶん抽象的な曲で、「虹」「夢」「未来」などの言葉が並ぶ。

そう何度でも 何度でも
君は生まれ変わって行ける
そしていつか捨ててきた夢の続きを
ノートには 消し去れはしない昨日が
ページを汚してても
まだ描き続けたい未来がある

叶いもしない夢を見るのは
もう止めにすることにしたんだから
今度はこのさえない現実を
夢みたいに塗り替えればいいさ
そう思ってんだ
変えていくんだ
きっと出来るんだ

 

「さえない現実」を塗り替えるのは、「夢みたい」なものである。はっきり言って、この歌詞は何も言っていないに等しいくらい、ふんわりとしている。でも、イメージをつかむことができる。「ノート」や「ページ」が何を表しているか、解釈のすべてを自分にゆだねられているから、かえって「正確に」「寸分の誤差もなく」それらの言葉を内化することができる。桜井和寿の歌とともに「きっと出来るんだ」と心の中で唱えてしまう自分がいる。なぜなら、これらの歌詞が、まるで自分から発せられた言葉のように感じるからである。こういう力が、歌に限らず、絵画や映画、小説などにある。それらはみな、何かの情報を正確に伝達しようとするメディアではない。だからこそ、比喩的な表現によって、かえって断定的な、それ以外の意味にはとれないような、そんな効果が現れてくる。

 

 

 

 

 

ういう表現のありかたを、比喩的断定と呼ぼう。それは、否定を重ねることによって外堀を埋めていくような表現ではなく、共感の力による直接的な表現の力である。

否定形を重ねる/君が好き

Mr.Childrenの歌詞のほとんどすべてを書いている桜井和寿は、痛烈な皮肉屋である。

例えば、デルモという歌は、以下の歌いだしから始まる。

東京―パリ間を行ったり来たりして
順風満帆の20代後半だね
バブリーな世代交代の波押し退けて
クライアントに媚び売ったりなんかして

 

主人公は、20代後半、仕事に精が出る売れっ子モデル。「デルモ」というタイトルは、モデルの業界用語である。

バブリーな曲調と相まって、この曲は、モデルの耽美的でもあり、ビジネスライクでもあるそんな世界観を表現しているのかなと思われる。さらにサビの出だしは、こうである。

 

デルモって言ったら“えっ!”ってみんなが
一目置いて 扱って

 

まさに優越感である。と思いきや、その直後、歌詞は以下のように急展開を遂げる。

 

4 5年も前なら そんな感じに
ちょっと酔いしれたけど
寂しいって言ったら ぜいたくかな
かいかぶられて いつだって
心許せる人はなく 振り向けば一人きり

 

東京とパリを行ったり来たりするほどの世界的売れっ子モデル。彼女は、周りから一目置かれるくらいの立場にある。しかし、この後、歌詞では「寂しい」「一人きり」と続く。こちらがこの曲のメインテーマである。桜井和寿は、モデルの孤独感を表現するために、曲の一番を丸々使って、あえて栄華を強調していたのである。

こういう展開の歌詞は、Mr.Childrenの中で珍しくもない。言ってしまえば、王道パターンである。例えば、「ファスナー」という曲では、

 

昨日 君が自分から下ろしたスカートのファスナー
およそ期待した通りのあれが僕を締めつけた

大切にしなきゃならないものが
この世にはいっぱいあるという

 

と一番の歌詞が続く。ここまで聴いていると、「ああなるほど、いくぶん下世話だけれど、大切にしなきゃならないものっていうのは君ってことなんだな」と僕たちは想像できる。しかし、桜井和寿は、そんなうぶな妄想を一瞬で葬り去る。

 

でもそれが君じゃないこと
今日 僕は気付いてしまった

 

「君じゃない」のである。あまりに急に裏切られて脳みそが追い付かなくなりそうだ。上の歌詞と下の歌詞は連続している。そこに一切の中略は無い。だからこそ「期待した通りのあれ」が生々しく響くのだが。

 

 

 

 

 

 

近、僕は、否定形について考えている。いや、正確に言えば、否定形は、実にポジティヴだということを考えている。

ふつう、否定形、すなわち「Aではない」という形式の文は、ネガティヴと表現される。たしかに「AではなくてB」という形式の場合、AはBのネガ(=裏面)であるとされる。たとえば、「私が好きなのは、りんごじゃなくてみかん」と言ったとき「りんご」は、端的に「みかんではないもの」の一例として扱われる。言わば、「りんご」は「みかん」に従属している。「みかん」が無ければ「りんご」が会話に出てくることは無かった。この文脈において「りんご」は単独として価値を持たない記号である。つまり、B(=「みかん」)の正当性(=いかに好きであるか)を主張するためにA(=「りんご」)が恣意的に持ち出され、このときの表現形態が否定形なのである。これが「Aではない」のもっとも基本的な使い方である。

さきほどのミスチルの歌詞を例に挙げれば、「デルモ」は、「栄華を極めた世界的モデルである私ではなく、理解者もいない孤独な私」についての歌詞であった。B(=「孤独な私」)の正当性(=いかに孤独であるか)を主張するためにA(=「栄華を極めたモデルとしての私」)が持ち出される。AはBの「ネガ」であるというとき、こういうことが想定されているのである。

 

 

 

 

 

かし、否定形は、もう一段複雑な形式をとる。それは「Aではない。だけど、なんて言えばいいのか分からない」という形式である。

これは、先ほどまでの形式とはかなり異なる否定形の使い方である。先ほどまでは、表現すべき、主張すべきBがあり、それを補強する形で、Aを否定形、つまりBならざるものとして扱ってきた。しかし、今回は、Bがそもそも何なのか分からないのである。ただわかるのは、「Aではない」ということのみである。 

そして、僕たちはむしろ、こういう形の否定形の方をよく使っている。例えば、心の琴線に触れる映画を友達と観に行った後、鑑賞後のカフェで友達と映画で感じた感情を話し合おうとして、しかし、自分の感情がうまく言葉にならないようなことは、よくあるだろう。「う~ん、なんて言えばいいのかな。。感動したというわけじゃないんだけど、でもつまらなかったっていうわけでも無くって、よくわかんないけど。。」みたいになりがちだ。友達はきっと助け舟を出してくれる。「それってもしかして○○ってこと?××ってことかな?それとも△△とか?」でも、そのどれも、自分の思いを的確に表現はしてくれない。「う~ん、○○ではないし、××とも△△とも違うんだよな~」。

自分の感情は、基本的に、正確に語ることはできない。ぴったりの言葉はほとんど存在しない。しかし、僕たちは、「こういうふうに表現すれば、まあまあ近いこと言えてるし、それでいいや」と思って妥協してしまう。このこと自体は、いいことだと思う。そうしないといつまでたってもコミュニケーションが成り立たない。でも、自分の気持ちに素直になればなるほど、そういう類似の表現で妥協できなくなってくる。だから、いくつもの否定形を重ねて、外堀を埋めていくように表現していくのだ。逆の視点から見れば、そうやって否定形を重ねていくことは、この上なく素直な表現のあり方なのだと思う。

 

 

 

 

定形を重ねることでしか、僕たちは、語りえないものに到達しようとすることができない。そして、語りえないものは、僕たちの本質をついている。僕たちが何らかの本質的なものを語ろうとするとき、そこに、「~である」という単純肯定は、用いえないはずである。なぜなら、肯定文は、なんらかの近似でしかなく、その近似に回収されないように否定文を重ねていかなくてはいけないのだから。

「君の名は。」のレビューがつまらないから、ちゃんと書いてみた

 インドネシアで「君の名は。」を観ようとおもい、インターネットで上映時間も全部調べて、満を持して映画館に行ったら、もう終わってて観れなかった。インターネットの情報があてにならないのがインドネシアだ。しかし、「君の名は。」へのおもいがすてきれず、その思いを吐きだす形で、ここにしるしたい。

 

 9月に日本で観てから、心のなかで反芻してきただけなので、思い違いもあるかもしれない。先に謝っておく。そして、めちゃくちゃネタバレをしている。「ほしのこえ」と「秒速5センチメートル(以下、秒速)」の内容にもふれている。ご注意ねがいたい。

 

 結論からいえば、やっぱりこの映画は、いい映画だとおもう。多くの人が指摘しているように、映像はきれいだし、音楽も(少なくとも僕にとっては)気持ちいい。キャラデザも今回は非常に魅力的だ。声優の演技も自然だし、ストーリー展開もドタバタ劇からの一転してシリアスな展開からのハッピーエンドと王道で心地よい。「耳をすませば」とか「時をかける少女」が好きな僕にとって、これほど完璧な青春アニメはないだろう。

 

 こういう好きな映画にであうと、色んな人の評価が気になってレビューをのぞくのだが、誰もかれも、はっきりいって、何もわかってないと反論したくなるほど的外れなことをいっているか、表面的なことの指摘に終始している。本映画のメインである時間の錯誤に大きな破綻があるというのがかれらの主な指摘だが、そんなことはある意味ではどうでもいいのだ。もちろん、作品の中で現実感を出すということは、日常SF的には非常に重要なことだし、そういう基本的な部分がそこなわれていたら世界観に入りこめないとおもう。しかし、僕は、個人的には、本作を観ているときに、不自然さはかんじなかった。瀧も三葉も時間のズレに気づかないのはおかしい!という人には、ふたりがそれに気づかなかったからこそ、その後のふたりの行動の必死さが、際立つんだよと諭したい。気づかなかったから、その失敗をとりかえす必要があるんじゃないだろうか。

 

 しかし、それ以上に、この気づかないということ―それはときに記憶の問題となる―が作品において重要な意味を持っていることを、本稿では、しめしたい。それには、少しばかり、遠回りが必要になる。お付き合いいただきたい。

 

 距離→時間→記憶→忘却という順に論をすすめていく。

 

距離感について

 まず、新海作品は、基本的には、主人公は、ふたりである。それは、きみとぼく、だ。そして、ふたりの仲を裂く展開が待っている。その切なさを味わうのが、醍醐味だ。だから、主人公のふたりは、ふたりのはなればなれになる距離感に、つよく自覚的である。ほしのこえでは、地球にいるぼくと宇宙の彼方にいるきみのメール、つまり、一往復だけで何年もかかるという距離感が提示された。秒速では、小学校の頃の初恋のきみと引っ越しのすえ会えなくなるという距離感、いやむしろ会ってしまったからこそ感じる距離感とでもいうべきものを表現していた。距離感についてあまりに注目しすぎるから、ほかのさまざまな背景を捨象してしまい、それゆえ「セカイ系」といわれたりもした。

 

 そして、この距離感は、私たちも常に感じている普遍的なものである。小説であれば、文学的表現などによってそれを昇華させるのだろうが、新海監督にとって、その表現方法はSF的状況設定に負うところがおおきい。しかし、たったそれだけのことである。それでもたったそれだけのことを彼は描いてきたのだし、「君の名は。」でも描かれている。

 

 SF的設定に惑わされてはいけない。その本質は、何度も言うが、叶わぬ恋の切ない距離感である。まずは、それを読み取らなければならない。しかし、本質を確認した後に、SF的設定という枠に注目すれば、われわれは、その枠によってさししめされた意味に気づくことができる。

 

距離と時間

 新海作品において距離感は常に時間感覚と隣り合わせでしめされる。宇宙の彼方にいるきみと遠くはなればなれになっていると感じるのは、なによりもメールの返信が一年以上もかかるというその時間性によってだった。秒速のラストシーンで描かれていたのは、踏切のこちらとむこうというわずか数メートルの距離でさえ、それまで会えなかった何年間もの積み重ねの前では、まるでそのつかのまの邂逅が幻であったかのように感じられるというものだった。

 

 「光年」という距離の単位が端的にしめしているように、距離と時間は、すくなくともかれの描く作品世界の中では、同じ意味をもつ。それは、つまり、あえない時間が積みかさなれば積みかさなるほど、きみとの距離は遠くなっていくということである。「ほしのこえ」や「秒速」において、主人公のぼくは、きみにあえないままエンディングを迎える。作品中ずっと、きみにあいたいと思いつづけていたにもかかわらず、その一途な願いは、かなわない。なぜなら、あえない時間がふたりをはなればなれにしてしまったからである。この、純化した恋の表現の枠内において、偶然の再会は、起こってはならないのである。

 

時間と記憶

 きみにあえないことで時間は無慈悲にすぎさり、そのことによってさらにきみにあうことが難しくなっていく。しかし、きみにあいたいという感情は、それに反比例して強まっていく。そういったとき、ぼくは、みずからの記憶の中できみとであうことを選択する。秒速で、主人公のぼくが、きみに宛てて送ろうとしていたメールは、ついぞ送られることはなく、携帯の下書きボックスに溜まるだけであった。この行為を、表面だけなぞって、「メールを送ることができなかった」と結論づけることもできよう。しかし、つぎのようにかんがえることは、飛躍だろうか。「かれは、たしかにメールの送信に成功していたのだ」と。それは、「記憶の中のきみに送られたメール」だったと。そういう自分の中にたまり続けるメールを通じてかれは、記憶の中のきみと通じつづけてきたのだと。

 

 時間がたてばたつほど、おもいがつのるとき、記憶の中のきみにあおうとすることは、極めて自然なこころのはたらきだとおもう。こういう経験は、たとえば、初恋とよばれるものや叶わぬ恋とよばれるジャンルにありがちでさえある。新海作品は、映像の綺麗さと巧みな状況設定によって、われわれ観客を惑わしながら、かえってストレートにこの切なさを表現している。踏切のむこうにきみがいるという、秒速のラストシーンは、たしかにきみにあえたシーンではあるが、かれが永年おもいつづけてきた「記憶の中のきみ」ではなかった。あのころのきみではなかった。すこし年をとりすぎてしまったのだ。そういう意味で、あのシーンは、失恋のシーンであった。

 

 時がたってしまったから、距離がはなれる。記憶の中できみにあいつづけるから、現実のきみには、あえない。このジレンマ的状況が、新海作品の切なさを助長している。これが、「君の名は。」にいたるまでのおおまかな背景である。

 

記憶と忘却、そして忘却の忘却

 記憶の中のきみにあいつづけるということは、換言すれば、記憶の中でだけはきみをわすれないということである。したがって、新海作品は、つねに、きみをいかにわすれないでいられるかということを問いつづけてきたともいえる。

 

 そして、わすれるということは、ある意味では、大人になるということでもある。われわれは、大事な記憶をわすれながら生きている。しかし、そのわすれる、といういとなみは、ときおりおもいだす、といういとなみをともなってこそ意味をもつ。

 

 「ほしのこえ」の状況がわれわれに容易に想像させるように、かれは、いつ返ってくるかもわからないメールを、日常生活の中で、わすなれがら待ちつづけ、メールがかえってきたときにおもいだす。このように、普段はわすれているけど、たまにおもいだすということを通じて、主人公のぼくは、成長していく。かれにとってわすれるということは、通過儀礼である。

 

 しかし、忘却の先には、いったいなにがあるのだろうか。私は「君の名は。」を観て、「忘却の忘却」ということばがあたまに浮かんでしまった。つまり、忘却してしまったことさえ忘却してしまうという、そういうことを想像せざるをえなかった。

 

 「君の名は。」は、新海作品の延長線上にある「忘却の忘却」について、明確なメッセージをおくっている。瀧が、どこにあるのかもわからない糸守町の風景を、記憶だけを頼りにデッサンしていく。いつの日にか、それがどこにあるのか確かめようと模索し、現地へむかう。そこで、定食屋の親父に出会う。「これは糸守町だ」「どこにあるんですか?」「隕石で跡形もなく消え去ったよ」。瀧の記憶が薄れ、糸守町のデッサンが描けなくなったとき、糸守町の新たな絵は、永遠に彼の手から生まれなくなる。なぜなら、それをおもいだす「よすが」となる現実の街がすでになくなっているから。瀧が糸守町についてわすれるということは、もうおもいだすことが不可能になるということであるということだ。これは、たんなる物忘れとはちがう。「わすれる」というより、「おもいだせなくなる」といったほうが近い。

 

 ここで、われわれは気づく。三葉は?と。三葉はどこにいるの?と。瀧は、いつか三葉に出会えると思っていた。観客もそうだ。でも、もう逢えないかもしれないということがあきらかになる。

 

 いままでの新海作品だったら、記憶の中できみにあっていればよかったのだ。しかし、隕石によって滅亡した町を前に、そういう解決はもはやできない。いつかは三葉をわすれてしまうだろう。それは、もう二度とおもいだすことはできない種類の忘却である。ここに、永遠の別れを予感することは、決して突飛ではないだろう。いや、正確には、永遠の別れではない。記憶を失うということは、この文脈において、会ったという事実さえうしなわれてしまうということで、最初からであっていなかったということになってしまうのだ。わかれることさえ、ふたりには許されていない。

 

 この「忘却の忘却」は、作品の中で、もう一度明確にしめされる。手に名前を書きあうシーンだ。かたわれ時が終われば、名前はおぼえていられないから、わすれてもわすれても、そのつど、ちゃんと、おもいだせるように。

 

 名前をよぶということは、存在を認めることのもっとも原初的な形態である。われわれは、「赤くて丸くて甘いもの」を「りんご」と呼ぶことでそれに存在を与えることができる。「私が昨日買ったりんご」と呼べば、さらにしっかりと認識できる。名前は、アイデンティティである。しかし、瀧が書いたのは、名前ではなかった。「好きだ」。名前を忘れても、その存在を忘れても、関係性の中にのみ生じる「好き」という感情をかれは、優先した。それは、何よりも強い告白であると同時にかれらしい選択であった。

 

「忘却の忘却」を生きる

 さて、この「忘却の忘却」というテーマは、震災後の社会の大きなテーマであるように私は思う。隕石という自然災害が作中の鍵となっていることからも、災害が本作の裏テーマのひとつになっていることは想像できよう。

 

 震災で跡形もなくながされてしまった街。そして、土盛りや堤防などの復興工事によって、永遠にうしなわれてしまった故郷の風景。あのころの記憶をわすれるということは、おもいだすことがなくなるということだ。私たちは、津波と復興によって永遠にうしなわれた街の上で暮らしているのである。土の下の街をわれわれは、決してわすれることはないとしても、子どもたちにそれを正確に伝えることは、むずかしい。子どもの子どもとか、そのさらに子どもとなるとさらにむずかしい。でも、わたしたちは、そういう社会を生きている。その解決策は、残念ながらまだないようにおもえる。

 

 本作は、ふたりがであうことでハッピーエンドとして幕を閉じた。これは、必然だったとおもう。「ほしのこえ」や「秒速」で、ふたりがであいなおすことができなかったのは、記憶の中のきみとであうことができたからだった。

 

 しかし、記憶がうしなわれ、「忘却の忘却」という状態になったとき、われわれは、であうことができない。すれちがっても気づくことができない。それはまるで名前のないものに対して適切に呼びかけることができないことと似ている。だからこそ、逆説的には、「忘却の忘却」においては、現実にであいなおさなければならない。記憶の中で会えないのだから、現実でふたりは会わなければならないのだ。そして、ふたりは、適切に互いを呼びあうことが困難であるがゆえに、こう問いかけるほかない。「君の名は?」

 

 忘却の忘却の果てにあったのは、距離も時間も記憶も無化してしまうような現実の邂逅であった。それは、かたわれ時のような幻想的な出会いではなく、須賀神社の境内へ続く階段での身体性をともなう出会いだ。ふたりは以前から互いを知っていたが、それがふたりの初対面だったのだ。再会よりもつよく運命的に引かれあった初対面のシーンは、ふたりの失われた記憶の重みを私たち観客が担っているという意味で、私たちの心を強く揺さぶったのだ。ふたりの、ふたりにはわからない運命をわれわれは、われわれは知っている。われわれは、映画を通じて、フィクションのふたりの、運命の承認としての役割を与えられたのだ。だから、ふたりの物語を、われわれは、おぼえておかないといけないのである。

黙祷

黙祷とは会話である

 

 

午前5時10分。

 

まだ神戸の街は起きていない。

 

20年前のちょうど今日、この場所で地震が起きた。

 

そして、何人もの人が亡くなった。

 

何人もの人が、大切な人を亡くす悲しみを経験した。

 

それは、ほとんど同時に。しかし、それぞれ個別の経験だ。

 

 

神戸の中心にある東遊園地には、多くの人が集まっていた。

 

5時45分。

 

一分後に備えて、時報が会場に鳴り響く。

 

十秒ごとに時間を報せてくれるそれは、無機質な声で、淡々と進む。

 

ーーゴジヨンジュウゴフンゴジュウビョウ

 

目を閉じる人が増える。

 

僕はその光景を目に焼き付けようとする。

 

どうやって、この時を過ごせばいいのだろう。

 

ーーゴジヨンジュウロクフン

 

僕も目を閉じる。

 

だから、その時、ほかの人がどのように過ごしていたか、知らない。

 

だけど、きっと、みんな、会話をしていたのだろうなと思う。

 

目を閉じないと、微かな音は聞こえない。

 

死者の声は、きっと、か細い。

 

20年もたてばなおさらだ。

 

だから目を閉じる必要があるのだ。

 

 

 

竹の灯篭の中には、ひとこと、墨で書かれている。

 

「絆」が多かった。

 

誰との絆だろうか。

 

それは、当初は、死者との絆であったのかもしれない。

 

しかし、時がたつにつれ、生活が進むにつれ、少しずつ今を生きる人との絆になった。

 

それは、健康なことで、そうやって人は「忘れる」ことで、生きていくのだ。

 

でも、20年たった今日ぐらいは、もう一度、「あの人」と話してみたくもなる。

 

そのためには、微かな明かりと、目を閉じることと、周りにもそういう人がいることが必要なのだ。

 

 

 

目を開けると、また、「今」に戻される。

 

そうやって生きていけばいいのだ。

 

また来年、話をすることを約束しておくことが必要なのだ。

 

そうやって一年ずつ生きていく。

 

死者の声を聞くことは、生きるということなのだ。

 

死者との絆とは、生きるということなのだ。

 

 

 

 

弱さ

弱さとは、共に生きるということである。

 

この人だって空飛べるわけじゃない

鳥からみたら9秒でも15秒でも同じ「飛べない」世界の出来事だわなあ

そう思わんか兄ちゃん

ということはだ、「歩けない世界」にもきっと―「9秒台」はあるんだ

 

弱さについて考えてみたい。それは、たとえば、弱さの力であるとか弱さの強さといったたぐいのものである。その手がかりとして、私の経験を少し述べたい。なんてことはない経験だが、今でも心に残っている経験である。

 

私は毎年9月の中頃に金剛コロニーという辺鄙な山の中にある障害者福祉施設で一週間ほど住み込みでボランティアをしていた。その日、私は50代くらいの男性の方とペアになって一緒に散歩をしたりご飯を食べたりした。その方は障害の程度が重く、私の呼びかけに全く反応せず遠くの方を見ているばかりである。それでも辛抱強く「出身はどちらですか?」「ご家族は?」「好きな食べ物は?」などと話しかけてみるのだが、聞こえているのかどうかも疑わしいくらいに無視されてしまう。そのうち、話しかけるのにも疲れて、ただ隣でぼけっと座っているだけという状態になった。ただ隣にいるだけというのも、それはそれで気まずくなって、手を握ってみた。すると、かすかに手を握り返してくれたような気がした。錯覚でなかったことを確かめるため、手を握りながら先ほどの質問をすると、答えてはくれないが、弱い力で手を握り返してくれた。一般的に彼は、障害が重くてこちらの言っている内容が理解できず自分で考えたことを口にできない、いわゆる「弱い」人なのだが、あの瞬間私は何かを分かり合えたような気がした。「弱い」からこそ伝わってくるものが、そのとき確かにあった。

 

もう一つ心に残っている経験がある。私は豊中のとある小学校のとある特別支援学級のOB・OGさんたちと毎月一回、交流をしている。その日は、みんなで梅田に映画を見に行って、おいしいランチでも食べようということになった。メンバーの中に全盲の方がいる。彼女は目が見えないため映画の内容を十分に理解することができず、しまいには眠り始めてしまった。*1映画館を出て、彼女に感想を聞くと「楽しかった」と答えてくれた。気を利かせてくれたんだなと思っていると「映画の内容はよく分からなかったけど、みんなと一緒に映画に来れて楽しかった」と教えてくれた。映画を見るという目的を達成できたかどうかではなく、みんなと一緒にただ「すごす」ということの方が彼女にとってよっぽど価値のあることだったと気づかされた。

 

弱いからこそ伝わってくるものがある。そして、何をするでもなくただ一緒にいるだけで満足することがある。こういったことは何度も経験してはいる。しかし、経験しているだけで終わってしまう。大切なものをことばにすることは難しい。一人ではできないから「弱さの思想 たそがれを抱きしめる」(高橋・辻 2014)を片手に「弱さ」をめぐる思想について、少し述べてみることにする。

 

まず、弱さとは何であろうか。弱さとは、「有限性」もしくは「制約」と言い換えることができるだろう(高橋・辻 2014)。例えば、経済学者であるE・F・シューマッハーが提唱したことばに『スモール・イズ・ビューティフル』というものがある。『スモール・イズ・ビューティフル』とは、すべての生き物が「どこで成長を止めるかを心得ている」ことを表したことばである。私たちは、生まれたときから有限で制約を抱えた存在である。そして、いわゆる弱者とはその中でも特に制約のきつい人のことを指しているに過ぎないのかもしれない。

 

「制約」を取り除くことは、よいことだろうか。よいとも言えるし、よくないとも言えるだろう。よいと言う人は、競争主義や功利主義の原理を持ち出すかもしれない。競争で勝つためには、「制約」はできる限り取り除いたほうがいい。そして、あらゆるものが制御可能な状態に置かれていると都合がいい。未来先取り的で前傾姿勢になっている社会(鷲田 2006)において、制約を取り除くという制御は、正当化される。

 

その一方でそれをよくないと思う人もいるだろう。私もその一人である。しかし、反対するうまいことばが見当たらない。もう一度「弱さの思想 たそがれを抱きしめる」に戻ってみる。

 

本書では弱さがあるからこその価値が示されている。例えば、イギリスのリーズにある子ども専門ホスピスにおいて、死は子どもと親の残された時間を輝かせてくれるものであり、「逆説的な特別な時間を与えてくれるギフト」(高橋・辻 2014;164)とポジティブに捉え返される。本来であればネガティブに捉えられる死という「制約」をポジティブなものとして抱きしめることが「弱さの思想」であると言える。つまり、「弱さの思想」とは、「敗北力」であり、「敗北力」とは、「敗北とされるものが敗北じゃないということ」(高橋・辻 2014;164)と言うことができる。

 

また、弱さは逆説的に強いつながりを生む。北海道浦河町にある浦河べてるの家という精神障害者のグループでは、弱さの自己開示が積極的に行われる。精神障害を抱える彼らは、今まで精神障害という弱さを薬で押さえつけなくてはいけなかった。しかし、べてるの家では、自身の症状を積極的に開示する。すると、同じような症状を持つ人と今まで以上に強い結びつきができる。「弱さを絆に」(浦河べてるの家 2002)というモットーがこの状況をよく表している。これが逆に「強さを絆に」だとしたら、うまくいくだろうか。

 

弱さを制御しないということは、あるがままで一緒に過ごすということにつながる。鷲田(2006)の言うような前傾姿勢の現代社会をある目標へと向かう「めざす」かかわりを求める社会とするなら、私たちは「すごす」かかわり(肥後 2000)を大切にしていかなくてはならない。共生社会は、競争主義の社会の単純な否定ではない。競争主義の論理を認めたうえで、それでもそれだと困る人もいるということを忘れないようにしなければならず、それだと困る人とまずは「すごす」ことに価値が置かれるようでなければならない。競争主義が排除しようとしてきた「弱さ」にこそ、これからの未来があるのではないかとさえ思う。

 

私たちは、何かしらの制約と共に生きている。それは、「歩けない世界」であったり、「うまくエッセイが書けない世界」であったりする。それを乗り越えないでいることは無駄なことだろうか。乗り越えられない制約は、邪魔だろうか。かえってその制約によって生かされていると思うことがあり、その制約があるからこそ私たちは繋がるのではないかと思うことがある。「弱さの思想」はここを問うている。

 

 

 

参考文献*2

*1:余談だが、その映画は非常につまらなくて、私もほとんど寝てしまっていた。

*2:

井上雄彦

    2008 『リアル 第8巻』東京:集英社

浦河べてるの家

    2002 『べてるの家の「非」援助論―そのままでいいと思えるための25章』東京:医学書院。

高橋源一郎・辻信一

    2014 『弱さの思想 たそがれを抱きしめる』東京:大月書店。

立岩真也

    2013 『私的所有論第2版』東京:生活書院。

肥後功一

    2000 「コミュニケーション障害を産み出す見方」大石益男編『改訂版コミュニティ障害の心理』pp.19-38、東京:同成社。

鷲田清一

    2006 『「待つ」ということ』東京:角川学芸出版

親父その2

親父とは、強がりである。

 

 

僕にとって、「親父」と呼べる人は、二人いる。

一人は、実家の親父。

もちろん、血はつながっているし、僕が生まれたときから同じ家で暮らしている。

僕が大学進学のために、大阪に出てきてからは、年に数回も会っていないが、それでもやはり親父は親父だ。

 

もう一人の親父は、寮の先輩だ。

僕が大学の寮に入ったときに、同じユニットの2学年上の先輩。

学年は2つ上だけど、年齢は30歳くらい上。

年が離れすぎていて、最初見たときは、学生だとは思わなかった。

寮の管理人さんかと思った。

その「親父」は、45で大学に入るまで、世界を放浪していた。

生活費は、FXとかで稼いでいた。

冬になると、カナダでスノーボードして、夏になるとオーストラリアでスノーボードしていた。

現地の日本人と何股もしていた。

で、海外も飽きて日本に帰ってきて、工業高校卒業が最終学歴だったのに、ポンと大学に入っちゃって、ストレートで4年で卒業した。

そして、実家のある名取に帰った。

「親父」が卒業するとき、会いたくなんてないって本気で思ってたけど、まあどうせいつか会えるんだろうなって心の片隅で感じていた。

 

卒業してから一年後の四月、僕は大学4年生で例に漏れず就活をしていた。

第一志望の会社の面接を翌日に控えたときに、一通のメールが届いた。

「親父」からだった。

 めずらしいなあと思いメールを見ると、「親父」じゃない人が、「親父」の突然の死を報せるメールだった。

 

その年の8月、寮の先輩たちと、「親父」の墓参りをした。

どうせ会えるんだろうなっていう漠然とした予感は、裏切られた。

そこにあるのは、墓石だけで、墓地から見えるのは、めちゃくちゃでかいイオンモールだった。

 

そして、今日、一年半ぶりに墓参りをした。

そのイオンモールで、線香とかマッチとかを買った。

線香もマッチも 一人用なんて売っていないんだということを初めて知った。

お供え用の花は、腐ると嫌だから買わないでおいた。

 

「親父」の墓につくころには、あたりは真っ暗になっていた。

雨脚も強くなっていた。

さっき買ったばかりの線香とかマッチが湿気ちゃわないか不安だったけど、あっけなく火がついた。

「親父」の墓には、綺麗な生花が供えられていた。

「親父」に会いに来てくれる人がいることが何よりもうれしかったし、どうせ誰も来ないだろうから、花なんて供えても腐るだけだよねなんて考えていた自分が嫌になった。

とりあえず、花の水だけは変えておいた。

富士山麓の天然水にしておいたから、「親父」も文句あるまい。

 

なんだか、ふいに二度と来てやるもんかと思った。

墓前に手を合わせていた時は、「また来ます」なんて思ったけど、帰り際になると、「もう来ないぞ」と思いなおしていた。

そんなん、ただの強がりだ。

自分でもわかっている。

「親父」が卒業していったときに、考えていたことと同じだ。

ただ、一つだけ違うのは、もう会えないということだ。

もう会えないということが圧倒的な事実としてある以上は、僕はもう会わないってずっと強がり続けてやる。

たぶん、「親父」も、「もう来なくてもいいからよお~」とか言っちゃってると思う。

だから、もう会ってやらない。

そうやって強がることが、逆説的に「親父」と会える唯一の方法だと思うから。

 

 

1.35ポンド

 2ポンドと18ペンスが僕のあこがれだった。

ロンドンにいる間、ぼくは学校にブラックヒースという駅から行っていた。

その駅前に、ジュースとかお菓子とかお酒とか調味料を売っているコンビニとスーパーの中間のようなお店があった。

そこにいつも通って、50ペンスのクロワッサンを一つと85ペンスのチョコチップデニッシュを一つ買って朝ごはんにしていた。

 

このふたつがパンの中で一番安かった。

たったそれだけの理由で最初は選んだのだが、食べてみると、日本で買うパンよりバターの香りが豊潤で、口当たりもよく甘さと塩気のバランスが絶妙で、こう言ってしまえば元も子もないが、美味しかった。

僕は、一口で気に入ってしまった。

 

そのお店のパンのラインナップの中で、高いもの二つがシナモンロールとチョコレートツイストロール―それぞれ99ペンスと1ポンド19ペンス―で合わせて2ポンドと18ペンスになるのだ。

一番安い二つでこれだけおいしいのだから、高い二つはもっとおいしいに違いないという根拠のない自信は、日が経つにつれて、クロワッサンとチョコチップデニッシュを食べるにつれて深まっていった。

 

そして、ロンドンの最終日がやってきて、その店に行くのも最後の機会になった。

お土産を買いすぎてお金はほとんど余っていなかったが、昼食を抜きにしてもいいと思って、その二つを2ポンドと18ペンスで買った。

いつも決まって1ポンドと35ペンスをレジに渡していたから、この日はちゃんとコインが足りているか不安だった。

その時の僕は、恥ずかしさと誇らしさが入り混じったような顔をしていたと思う。

 

お釣りを受け取ることもせず受け取ったパンの小袋からは、シナモンのいい香りがした。

駅のホームに行くまでに待ちきれず、信号待ちをしている間に、シナモンロールを一口ほおばる。

美味しい。

シナモンの香りが口の中に広がる。

しかし、何か違う。

美味しいんだけど、拍子抜けだった。

チョコレートツイストロールも豪快に口に入れる。

やはり何か違う。

期待値が高すぎたのか。

いつもの安い二つのほうがおいしく感じられた。

食べ終わり空になった小袋を駅のごみ箱に捨て、釈然としない気持ちを抱えながら、ちょうど来た電車に乗り込んだ。

 

もう二度とあの店に行かないのかと思うと、悔しくなってきた。

僕にとってイギリスの味は、間違いなく50ペンスのクロワッサンと85ペンスのチョコチップデニッシュだった。

きっと、2ポンドと18ペンスはずっと憧れのままのほうが良かったのだ。

憧れているからこそ、いつものクロワッサンとデニッシュも美味しく感じられたのかもしれない。

 

もう日本に着く。

時差の関係で、まだ体内時計は真夜中だが、日本はもう朝になっていた。

不思議なもので、朝だと思うと、無性にあの二つ―1ポンドと35ペンスのほう―が食べたくなる。

今度は、この二つを憧れにして、日本でおいしいパンを食べよう。

いつか、ロンドンにまた行った時に、この二つを買おう。

その時の僕は、たぶん、恥ずかしさと誇らしさが入り混じった顔をしているだろう。